謝罪文にみるコミュニケーション力

昨夜テレビで、政治家のN氏が経済産業大臣政務官を辞任したという報道をみてあらっ!と思いました。
実はN氏とは、東日本大震災のボランティアでご一緒したことがあるのです。

N氏の経歴に「指導精神対話士」という肩書がありますが、これは内閣府認可のメンタルケア協会が
主宰する民間資格です。 ※協会のHPはこちら http://www.mental-care.jp/
震災当時、協会が実施していたボランティアでたまたまご一緒したのですが、N氏がまだ議員になる前の
ことで、実は私は、彼のバックグラウンドを知らずに参加していました。

で、そのときのN氏は、「とても有能でコミュニケーション能力に長けた好青年」という印象でした。
ボランティア滞在中、彼が関係しない別のグループで、ちょっとしたトラブルが起きたのですが、それは
現地の当事者同士の責任というより、手配する側の連携不足の問題でもありました。

これに関してミーティングで、「当事者」「事務局」「精神対話士」のそれぞれの課題がどこにあるかを
整理し、それはそれは見事な処理能力を発揮され、解決に向けた方向性を結論づけ、実際に行動
されました。
それから1年あまりを経て議員への立候補を知り、「なるほど、ああいう有能で行動力のある人なら、
活躍してほしい」と、その人物像に期待したものです。

今回報道された問題は、公人としての自身の立場を忘れた、弁解の余地のないもので、それは
ご本人も謝罪の中でおっしゃっているので、ここでは敢えてそこには触れませんが、このFacebookの
謝罪文に、非常に好例のコミュニケーション力をみることができます。
(さすが精神対話士です!)

で、そこはどこかといいますと、まず
「家族がありながら、会社員時代からの知り合いの女性に好意を抱き」という部分です。
「好意を抱き」というのは非常に正直な感情の吐露で、こういう事実を「公人の謝罪」で表現する
ことはあまり見られないことではないでしょうか。
この正直さ、率直さは誰かを批判したり外に原因があるという姿勢を拝した「潔さ」が感じられます。

また「言い訳のしようがありません。」という表現も伝達する力があります。
「反省しています」というような通り一遍の表現でないところが、自分に向き合っている印象を強め、
やはり潔く感じられます。

どちらも「私はどう感じ、どう思うか」という「I(アイ)メッセージ」の分類に入る表現だと思われますが、
コミュニケーション力としては非常に高く評価できるのではないでしょうか。

ここまでは、「目のつけどころがアズマでしょ?!」(笑)という視点で書いてみました。
(これで済むとは思うなよ!)(笑)